垂直落下?重心落下?

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    これは、自分自身の中でもまだはっきりと結論がついてはいないのですが、

    どこに落ちるのが正解なのか?という疑問があります。

     

     

    無想会の各会員のブログを参考にしてみると、はみ唐さんは、「垂直落下」という表現を使っています。

    https://ameblo.jp/hamikara/entry-12405986305.html

    https://ameblo.jp/hamikara/entry-12406459158.html

     

    一方、大阪同好会の副代表氏は、「重心落下」すると言っています。

    https://plaza.rakuten.co.jp/musokaikarate/diary/201809150001/

     

     

    垂直に落ちるべきなのか?重心に向かって落ちるべきなのか?

    似ているようで、全くの別物です。

     

    まだ自分の中で完全に言語化されていないので、表現が上手くできませんが、

    自分自身の身体感覚としては、「垂直落下」ではなく「重心落下」の方が近いです。

    ただ、無学ゆえに、今体感的に感じている「重心」とやらが、物理学的に正しい表現なのか自身が持てません。

    (おそらくは、アレだろう。といった当たりはありますが。)

     

    かといって、はみ唐さんがダメな感覚だと言う「スロープを滑り降りるような突き」ではありません。

    スロープを滑り落ちる物体は、徐々に加速していきますが、そうではなく、

    最初からMAXのスピードで、相手と自分で作る正中線を一瞬でシュッパッと駆け抜けるような突きです。

     

     

    この突きは、以前ブログに書いた「ガマクに乗る」の延長線にあるものだと思っています。

    http://hamar-k.jugem.jp/?eid=417

     


    足を動かすな!

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      「足で動くな、足を動かすな」
      https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14592994.html
      「足を動かすな」
      https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14594472.html


      新垣師範がブログで、「足で動くな」、「足で動かすな」とは何か?
      ということを問いかけています。

       

      「足で動くな」ということについては、新垣師範自身が「徹底的に重力落下で動くこと」だと説明しています。

       

      では、「足を動かすな」とはどういうことなのか。
      まあ、どういうことなのか?といっても、これも新垣師範がブログで書かれているように「山を崩さない」ということ以外の何物でもありません。
      ただ、この山を動かさないためには、足(脚及び肢を含む)の筋肉を使わないのではなく、

      むしろ、逆に総動員させなければいけないことは、無想会の会員であればご存じでしょう。

       

      この「足を動かさない」ということを徹底させないと、技を出す際に悪い意味で身体が流れてしまいます。

       

      新垣師範のナイファンチを見ると、見事なまでに足が動いていないのがわかります。

      (ただ、この動画の中では、ほんのちょっぴりわずかに動いてしまっているシーンが一度だけありますが)

      https://www.youtube.com/watch?v=BVM2WnJj5wk

       


      隙がない

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        武道系の漫画や小説では、よく聞く表現ですが、「隙が無い」とはどういう状態でしょうか?
        この「隙」について、新垣師範が最近ブログで能を例として質問を投げかけていました。

         


        「剣と能(ナイファンチの形における隙)」
        https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14587035.html


        さて、自分は、武術における「隙が無い」状態とは、武術的に正しい姿勢・体勢が取れていることだと考えます。

         

        上記のブログへの回答となりますが、仮想の相手から反撃されてはいけないのは勿論のことだとして、第三者に対しても隙を見せたくはありません。
        そのためには、第三者に攻撃されたとしても、反撃できる状態、つまりは武術的に正しい姿勢でなければならないです。
        形の中では仮想の相手に技を繰り出しますが、技を出した時にその技に身体が流されて、武術的に正しい体勢・姿勢が崩れてしまっては不測の事態に対応できません。

        それは死に体となっている、隙が有る状態といえるわけです。

         

        まあ、第三者に隙を見せたくないから武術的に正しい姿勢をとるというより、常に正しい姿勢をとった結果、隙が無くなると言った方が適切かもしれません。


        ガマクに乗る

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          さて、最近の無想会会員同士の間では、ナイファンチ立ちの見直しがブームです。


          皆に見習って、最近では自分もナイファンチ立ち(及び初段)を中心に練習しています。

          その成果か、ガマクに乗る感覚が芽生えてきました。
          足を上げる時の重みも、ガマクに載せています。
          その状態をキープしながら形を行うと、常に浮いている感じです。

           

          この感覚が正しい身体操作によるものなのかはわからないのですが、これが師範の言う「足で立たない」ということなのかな?

           


          大阪同好会の立ち方・姿勢

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            この前、8月6日に行われた新垣清師範の沖縄セミナーでは、

            普段、東京や大阪のセミナーに参加している、全国の会員の方々が集まってくださりました。

             

            私は、大阪のセミナーには長い間出ていなかったため、大阪の会員とは久しぶりにお会いすることになります。

            驚きました。皆さん凄い上達している。

            特に、ナイファンチ立ちなどの立ち方・姿勢がもの凄く綺麗でした。

             

            下記の写真は、大阪同好会代表のN氏とY氏のナイファンチ立ちの写真ですが、本当に見事です。

            お手本になります。

             

             

             


            「武」とは「用」である。

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              「武」とは何か?

               

              空手に限らず、日本剣術や中国拳法なども含め、なぜ、武術としての修業法であるはずの形が、踊りや体操になってしまいがちなのか?

               

              それは、「武」の真とは何なのか、明確に認識していないから起こるのだと思っています。
              これをはっきりと認識していないと、武術というものは、どんどん明後日の方向にそれていってしまうのではないでしょうか。
              なぜなら、地図もコンパスも持たずに、ゴールを目指すようなものですから。

               


              では、「武」の真とは何か?
              それは、「用」です。

               

              武とは使うものであり、使われるもの。
              手段や道具、そういった類のものなんです。

               

              使う使わないは別として、使えるからこそ、実用性があるからこそ、武には価値が出ててくるんです。


              このことを認識できていないと、人は簡単に明後日の方向へ向かってしまいます。


              昔の沖縄の空手演武会で、「腕に畳針を指しても、血がでない!」といった技を披露した空手家がいました。
              しかし、こんなのは、大道芸であって武術でもなんでもないでしょう?
              空手の演武会でこんな芸を披露すること自体、大間違いです。

               


              武術の形を行う時は、常に、実際に使えるか使えないかといった、機能性を求めることを忘れてしまってはいけません。

              そのことを忘れてしまうと、武術は容易く、武術ごっごになってしまいます。


              付加価値を追い求めてはいけない

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                前回のブログ記事で、形に対して舞踊的要素を求めてはいけないことを例に出し、

                付加価値を追い求めてはいけない、と書きました。

                 

                その補足となりますが、形に鍛練的要素を求めてもいけません。
                それは武術ではなく、体育の発想です。

                 

                「この四股立ちは、下半身を鍛えんがために、実際に使うときより腰を深く落とす」とか「実際には、拳で打つが、腕の微細な筋肉を鍛えんがために、型では貫手になっている」とか「身体を作るために、ギチギチに身体を固めゆっくり行う」などといった鍛錬的要素を、型に盛り込んではいけないんです。

                 

                形をやった結果として、身体が鍛えられるのはいいんです。
                しかし、あえて身体を鍛えんがために、恣意的に技に鍛練的要素を加えてしまうと、形に舞踊的要素を求めるときと同様に、技の質を落とし、価値があいまいなカオスになってしまいます。

                 

                 


                武術における技とは、その技が想定する状況での最適な行動を行うからこそ価値があります。

                 

                本部朝基は、「型はなるべく実際に近い様に教うべきもので、強いて力を入れんが為に、実際とはかけはなれた型を世に残すことは、余り感心出来ないと思う。」という言葉を残しています。
                技の練習の際に、あえて身体を鍛えんがために、実際の用とはかけはなれた身体操作をするということは、自らの技に、技としては最適じゃない動作をしみ込ませることに他なりません。

                それは、悪癖と呼ばれる物です。

                 

                 


                鍛錬的要素が詰め込まれた形が生まれた理由は、色々考えられます。、


                厳しい言い方になりますが、形に鍛練的要素を加えてしまった人は、形の「真」とは何であるかに気付けず、付加価値である「身体が鍛えられる」という要素を「真」だと見誤ってしまったか、または、自らの形の用法に自信が持てないために、技以外の要素に価値を追いともめなければ、形の必要性を感じられなかったからだと思います。

                 


                ドンキホーテにはなりたくない

                0

                  先ほどまで、新垣師範と大会及びセミナーの打ち上げとして、2人で飲んでいました。

                   

                  さて、それが理由ではありませんが、
                  今回の沖縄空手国際大会の感想を、まだ書いてなかったので一つだけ。

                   

                  大会の感想は、師範もいくつかブログで記事を上げています。

                   

                  KARATEに負けた
                  https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14530313.html
                  KARATEに負けた沖縄空手
                  https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14531693.html
                  吹っ切れたかな!?
                  https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14533380.html
                  沖縄空手への畏怖と畏敬
                  https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14534426.html
                  来た、見た、勝った・ Veni, vidi, vici
                  https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14536595.html


                  今回、私自身も大会の会場に足を運び、出場選手らの試合を拝見しました。
                  そして、自分が最初に通っていた空手流派を辞め、無想会に入ることを決めた、あのときの気持ちを思い出しました。

                   

                  それは、「ドンキホーテにはなりたくない。」というもの。

                   

                   

                   

                  まず、私の中には、「空手は武術である。」という認識が大前提としてあります。
                  空手の練習は全て「武」のため。
                  空手の形も、武術的に意味があるから、強くなることに直結するからこそ、空手家が練習する価値があるはずです。

                  しかし、実際には、武術性を突き詰めた形を指導している道場は、どれほどあるのでしょう?。


                  「形のこの動作では、2秒ほど拳を止める」「緩急を付けるためにここではゆっくり」などといった、武術的とは言えない指導、舞踊的な指導を取られている道場が殆どではないでしょうか。

                   

                  自分が、最初に空手を習っていた道場もそうでした。

                   

                  観客に対する、見栄えを気にした形を行い、
                  到底、現実には、使える気のしない、非現実的な形の分解組手を練習する。
                  (上段上げ受けからの、一歩踏み込んでの突きの反撃。など)

                   

                  私は空手を、武術を習いに道場に通っていたはずです。
                  だけども、実際は、舞踊的又は健康運動的な何かを練習する日々。

                   

                  これって、ドンキホーテと同じではないでしょうか?

                   

                  ドンキホーテという物語は、呆けた老騎士が、風車を怪物だと思い込み、風車を攻撃します。
                  舞踊を武術だと思いこんで練習している人間というものは、これと大差がありません。
                  というか、ドンキホーテの方がまだましです。彼は呆けているのですから。
                  しかし、こっちは正気の人間です。
                  これは武術だ!と言いながら、または思いこみながら実際には、武とはかけ離れた練習をする。

                  こんな屈辱的なことがありますでしょうか。

                   

                   

                  今回の大会を見てなぜか、無想会に入る時を決めたとき、こんなことを考えていたなぁ・・と思い出しました。

                   

                   


                  自分は禅でいう「真」が欲しいんです。
                  空手の「真」は、「武」です。
                  武術というものは、「真」から外れて、舞踊的要素や健康運動的要素、仲間との繋がり、といった付加価値を追い求めてはいけないと考えます。
                  これは武術に限った話ではないでしょうが、「真」を外れて付加価値を追い求めてしまうと、武術としても舞踊としても健康体操としても中途半端な、何物でもないカオスになってしまいます。

                   

                  なので、ひたすら「真」を目指す無想会は心地良いのです。


                  立ち方の重要性

                  0

                    https://blogs.yahoo.co.jp/yamanekook/66020420.html

                     

                    立ち方はとても重要です。
                    これは棒だけでなく素手でも。

                     

                    今回の日本縦断セミナーでは、新ためてそのことを再確認。
                    立ち方、姿勢ができていなければ、その後の素手の突き蹴りや棒の振りなどは、練習する意味がない、と言っていいぐらい重要です。

                     

                     

                    東京の昇級審査では、師範より喝が飛びましたが、自分も含め日本の会員にはまだまだ立ち方が甘い。
                    ナイファンチ立ちに脱力は決して無く、張りのある立ち方です。

                    楽に長時間立ち続けられる立ち方では、絶対にありません。

                     

                     


                    沖縄セミナー終了

                    0


                      沖縄セミナーも無事終了しました。

                       

                       

                      自分の課題を再認識、そして改善への道がはっきりと見えてきました。

                       

                       

                      また、セミナーの初日では棒を3時間ほど行いました。

                      棒はこのぐらい時間を取る必要があるかもしれないです。
                      じっくり時間をかけることで、棒の醍醐味がわかってきます。


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                      プロフィール
                      ■プロフィール 沖縄空手道無想会沖縄同好会 ■練習場所 沖縄県沖縄市および那覇市 ■連作先 musokai_okinawaken@yahoo.co.jp
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