スポンサーサイト

0
    • 2019.08.21 Wednesday
    • -
    • -
    • -
    • -
    • by スポンサードリンク

    一定期間更新がないため広告を表示しています


    ナイファンチは演武線の外に立つ

    0

      JUGEMテーマ:空手道

       

      前回からの続きです。

       


      「ナイファンチには、縦の演武線が存在する」ということについてです。

       


      ナイファンチという形は、技の構成が左右対称になっています。
      しかしながら、凄い今更なんですが、「形の開始位置」に対して左右対象にはなっていません。

       

       

      ナイファンチの足跡を図にしてみた方なら一目瞭然なことですが、この形は開始位置より半歩左に偏っているんです。
      (※左側進行で始まるナイファンチの場合です。)

       

       

      何故か?、

       

       

      原因は単純です。
      ナイファンチという形は、右足を左方向へ一歩交差して始まるからです。

       

      つまり、ということはですよ?

      ナイファンチ形における中心位置とは、開始位置ではなく、開始線より半歩左にずれた位置に存在するということです。

      それが、ナイファンチにおける縦の演武線の場所です。

      ナイファンチでは、縦の演武線を身体の内側に置くのではなく、外に置いて立つんです。


       
      鬼神の業・技
      https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14902418.html

      「この人(の形)、演武線から外れて立つんです! 
       ナゼかって? 
       なぜなら、形を使う時に、演武線上に立つためです。」
       

      上記は、新垣師範のブログ記事からの引用ですが、これは五十四歩だけでなくナイファンチも同じです。
       
      ナイファンチは、開始時の閉塞立ちでは演武線から外れて立っていますが、最初の右足交差により演武線の中に入いきます。
      交差立ちの歩方によって正中線の激突が起きるとき、その瞬間に正中線と縦の演武線が一致します。。
      これが、形を使うときに演武線上に立つということであり、演武線を空中の正中線として使うということです。


       
      ・・・続く。

       


      ナイファンチに存在する「縦の演武線」

      0

        JUGEMテーマ:空手道

         

         


        これまでの続きです。

         

        この演武線シリーズは、新垣師範より、日本の各会員へ共有するよう指示を受けて記していますので、是非、会員の皆様は一緒に考えてみましょう。

         

         

         

         

         

         

         

        前回の記事では、「「前後の演武線」と「左右の演武線」を意識した上でみてみると、今までとは違った発見をすると思います。」と書きました。
        しかし、実際のところこのナイファンチという形ほど、演武線がはっきりしない形もありません。

         

         

        一般的にはナイファンチの演武線は、「横に一直線に伸びたものが一本だけ有る」という認識が多いかと思います。
        しかしながらナイファンチという形は、運足を厳格に正確に行った場合、足首の厚みの分どうしても一歩足を交差するごとに身体は演武線と平行にズレていってしまいます。

         

         


        ましてや、縦の演武線の存在など、ほぼ感じたこともない人が殆どではないでしょうか。

         

         

         

         


        このナイファンチの演武線について、会員間でも良くセミナーなどで議論されてきました。
        ナイファンチの演武線ってどこにあるの?一体何本あるの?と。

         

         

         

         


        さて、新垣師範から出題された「ナイファンチ(初段・全伝)は最初と最後は同じ位置なのでしょうか?」という問いに挑戦するにあたって、私が最初に行ったことは、ナイファンチの足跡を全て正確に図にしてみることでした。

         

         

        これは数年前にも行ったことがあるのですが、今回は演武線を強く意識して足跡を観察してみました。

         

         

        すると意外も意外、なんと「ナイファンチには、縦の演武線が存在する」ことに気づいたのです。

         

         

         

         


        ・・・・次回に続きます。

        ナイファンチの演武線

        0

          JUGEMテーマ:空手道


          前回、前々回からの続きです。

          この演武線シリーズは、新垣師範に日本の各会員にへブログやLINEで共有するよう要請を受けたため、記しています。
          是非、会員の皆様も考えてみてください。




          さて、新垣師範から出された「ナイファンチ(初段・全伝)は最初と最後は同じ位置なのでしょうか?」という問いに解答するために大事なのは、ナイファンチの足跡を最初から最後まで、正確に追ってみることです。


          「前後の演武線」と「左右の演武線」を意識した上でみてみると、今までとは違った発見をすると思います。

          ナイファンチは最初と最後が同じ位置で○○

          0
            JUGEMテーマ:空手道
            前回からの続きになりますが、
            新垣師範に、「(理解)まだ甘い」と言われたとき、ヒントも同時に頂きました。

            それは、
            「形における演武線は二つ」
            「ナイファンチ(初段・全伝)は最初と最後は同じ位置なのでしょうか?」
            というもの。
            最後に関しては、ヒントでは有るものの問いかけです。
            どのような意味か考え自ら理解しなさい、という正しい意味での禅問答と同じです。

            しかし、この問い、非常に悩ましいものでした。
            無想会の会員諸君ならお分かりかと思いますが、「ナイファンチ全伝は最初と最後が同じ位置である。」というのが共通認識のはずです。

            それを、「同じでしょうか?」と問われる。
            わざわざ聞くと言うことは、違うということでしょうか。
            ならば、一体何がどう違うのでしょうか。

            会員の方々、是非、考えてみてください。

            ・・・次回に続く。

            演武線と正中線の理解について

            0

              JUGEMテーマ:空手道

              新垣清師範は年二回、日本縦断セミナーを開催しておりますが、前回の夏は五十四歩の形を教わりました。
              ただ、この形ですが、新垣師範は絶賛する一方、教わった会員諸君等の中では今一その良さが理解されていない節が感じられます。

              私も、その理解できていなかった一人です。
              五十四歩の良さ
              http://hamar-k.jugem.jp/?eid=460
              前回のブログ記事にて五十四歩の形を取り上げ、「松村(宗昆)は、〜 3次元の自分の身体を、端っから常時1次元の線として認識していた 〜」と書きました。
              この記事について、新垣師範よりコメントを頂きました。
              「記事の内容は正しいが、まだ甘い(理解が)」と。

              記事で書いた理解は正しかったものの、五十四歩はまだまだずっと、君が理解しているより深い形なのだと言うことです。
              鬼神の業・技
              https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14902418.html
              空間にある「正中線」
              https://blogs.yahoo.co.jp/musokaikarate/14903003.html
              私自身、その自覚は十分に有ります。

              なぜなら、上記の師範のブログに書かれている「この人※松村宗昆(の形)、演武線から外れて立つんです!」という言葉や、「松村(宗崑)と言う人間は、この「演武線」に、空間における自らの「正中線」の役割を持たせる!」という言葉の意味がわからなかったからです。

              ・・・次回に続く。

               

               


              五十四歩の良さ

              0

                JUGEMテーマ:空手道

                 

                同好会の仲間から、「五十四歩は何がそんなに凄いのか?」
                という質問がありました。
                新垣師範の言う「演武線を空中上の正中線として使う」ことに関しては
                まだ、わかるようでわかりません。

                ただ、質問に回答していく中で考えがまとまり、あらためてわかったことがあります。

                それは、この形を作った松村は、
                「自らの身体を一次元の「線」だと思っていた」のだろうということです。
                自分の身体を演武線という線に対して、薄く薄く入れ込んで線にしていくのではなく、
                自分のからだは最初から「線」なんだと。

                3次元の自分の身体を、端っから常時1次元の線として認識していたわけです。
                無茶苦茶です!正気ですか?(褒め言葉)と言いたいぐらいです。
                だからこそ演武線に片足一つでもかかっていたら、それで良しとしているのではないのでしょうか。
                「演武線は線、私の身体も線、故に身体の一部でも演武線にかかっていれば、
                 それは身体すべて(正中線含む)が演武線の中に入っているということである。」と

                ・・間違っていたら、reraさんごめんなさい!

                五十四歩について

                0

                  JUGEMテーマ:空手道

                   

                   


                  新垣師範が、五十四歩ショック!という題で複数ブログを更新されていますが、
                  今夏のセミナーで教わったこの五十四歩、この形には、私も結構な衝撃を受けました。
                   
                  セミナーが終わって1月ほど経ちますが、
                  その印象は薄れるどころか、逆にじわじわと強くなってきてます。

                   
                  五十四歩は、正直な話、一瞬でお気に入りの形になったんです。
                  ひどく腑に落ちたといいますか、一目見て「これは素晴らしい型だ!」と感じました。
                  こんなにインパクトを受けた形は、チャンナンを教わった時以来です。



                  さて、今回のセミナー中にふと感じたのですが、(ふとっていうか・・)
                  どうやら私は「形はナイファンチ初段だけで十分である」と考えている、
                  と、周りに思われているようでした。
                  酷い誤解です。
                   
                  確かにブログで「練習は初段だけしかやってない〜」みたいなことを書いたような気はしないでもないです。
                  しかし、初段だけで良いと考えているわけではありません。
                   
                  ブログでは書かなかったですが、実際は、「ナイファンチ初段とチャンナンだけあれば十分である」と考えていたんです。
                  (対して変わりないですね!しかも書いてないなら伝わるわけないですし)


                   
                  だけどこれは、嘘偽りない正直な気持ちでした。
                   
                  だってそうでしょう!?
                  ナイファンチ初段とチャンナンができれば他の形は蛇足!
                  そう思えるぐらい、この二つの形は素晴らしく充実した形なんですから。
                   
                  楷書と行書はこれだけあれば完璧!と思えたんです。

                   
                  しかし、五十四歩は、このチャンナンよりもお気に入りの形になってしまいました。
                  それどころから、本当に松村の武だけを追求したいのなら、チャンナンすら蛇足ではないか?
                  と思い始めるようになってしまったんです。
                  これは、沖縄でクーサンクーの一部を見たことにより、更に強固なものになります。
                   
                  前半部分だけでしたが、この時見たクーサンクーは五十四歩と同格の形に見えました。
                  この二つとチャンナンには、必殺の意思に明らかな温度差を感じます。

                  チャンナンは、形の中で相手をボコボコにします。
                  その上で敵にとどめを刺します。
                   
                  しかし、クーサンクーや五十四歩は、相手に一瞬でも隙が生まれたら必殺する、そんな凄まじさがあります。

                  チャンナンは、転身や突きのバリエーションが豊富に学べるため、喧嘩のためには有効だと思います。
                  ですが、松村が形で想定した場とはもっと切羽詰まったものであり、
                  きっと松村ならチャンナンですら温いと感じたのではないでしょうか。

                  相手を殴ることすら悠長。そんな声が五十四歩やクーサンクーからは聞こえてくるのです。



                  まあ、このように、形に対する自分の考えというものは、新垣師範のセミナーに出るたびに常にアップデートされています。
                  今書いてるこの時点での考えは、ナイファンチ(初段及び全伝)、五十四歩が必須形。
                  バリエーションを増やす意味合いで、ローハイとチャンナンも学ぶべき良い形だと思っています。
                  (今回、書くことはなかったですが、五十四歩を見た後だとパッサイと十三は蛇足に思え・・・)
                  上記の文字をクリックしてください!
                  セミナー・イベント情報、関連ブログ、同好会稽古先・公式HP一覧表がご覧になれます



                  The sorrow must go on.

                  0

                    JUGEMテーマ:空手道

                     

                     

                     

                    前回のブログ記事にて、
                    「仏に逢えば仏を殺し、祖に逢えば祖を殺し、羅漢に逢えば羅漢を殺し、父母に逢えば父母を殺し、親眷に逢えば親眷を殺して、始めて解脱を得ん」
                    という禅の言葉を取り上げ、真理のためなら対象が何であろうとも””と書きました。

                     

                     

                    自分にとって、これに例外はありません。

                     

                     

                    たまに、ブログで真反対のことを書くのはそういう理由です。
                    形の名前も「パッサイ」「ワンシュー」と従来通りの表記で書き続けるのも同じです。

                     

                     

                    私は、仮説に対して、それが真実だ!間違いない!
                    という風に言い切ることは絶対に有りません。

                     

                    大変興味深く、真実味のある仮説であれば、それを自らの指針にすることはあるかもしれませんが、
                    それが事実かどうかというと、まるで別の話になってくると思います。
                    空手界には数多くの仮説が存在しますが、仮説である限りそれら全てを平等の目で見ることにしています。

                     

                     

                     

                    とはいえ、このまま余りそういうことを書き続けていくのはどうかと思いますので、

                    いずれこのブログの名前も書く内容も、期を見て変える予定です。

                     

                    .

                    .

                     

                     

                     

                     

                     

                     


                    一抹の哀しさ

                    0
                       

                      JUGEMテーマ:空手道

                       

                      空手のことを想うときは常に、頭の片隅にフッと一抹の哀しみの感情がよぎります。

                       

                       

                       

                       

                      このようになったのは、3〜4年程前にとある沖縄空手のセミナーを受講したのがキッカケでした。

                       

                      今でも、そのときの強く深い哀しみを良く覚えています。
                      新垣師範のセミナーを受けた経験が有ったがために、その指導内容の密度の余りの格差に愕然としてしまったのです。

                       

                      詳細は詳しくは述べません。
                      しかし私は、現代沖縄空手の底というものを、この日はっきり見たかのような思いをしました。

                       

                       

                       

                      自ら強い哀しみの感情を感じたことで理解できたことがあります。

                       

                       

                      新垣師範は、年に2回アメリカから来日し、それぞれ約1月ほど滞在して指導を行います。

                      その労力は並大抵のことではないはずです。

                       

                      私は、新垣師範のこのモチベーションがどこから来るのか、ずっと不思議でした。

                      安直に、新垣師範がとても強い熱意を持った人だからできるのだろうか?なとどと想像していたかと思います。

                       

                       

                      しかし、哀しみの感情を自ら理解した後、それは違う!と断言できます。

                       

                       

                       

                      勿論、強い熱意もあったでしょう。
                      しかし、新垣師範はそれだけではなく、きっと強い哀しみを懐に抱えているからこそ、これだけのことを行えるのだと思います。

                       

                       

                       

                      人は、強い悲しみには打ちひしがれますが、強い哀しみにはその逆の反応を示します。
                      哀しみは悲しみと同じ負の感情、決してプラスの感情ではないはずですが、しかし、悲しみとは違い、人は強い哀しみを受けると突き動かされるのです。

                       

                       

                       

                      慟哭、まるで叫びだし走りたくなるような感情。
                      それが哀しみなのだと知ることができました。

                       

                       

                       

                      思い返せば、無想会の前に学んでいた流派を離れるときも、心に哀しみがありました。

                      離れた流派も自らの師も好きでした。


                      しかし、真理が欲しかったがために離れることを決意しました。
                      真理の探究とは、好き嫌いで決めることでは有りません。

                       

                       

                      「仏に逢えば仏を殺し、祖に逢えば祖を殺し、羅漢に逢えば羅漢を殺し、父母に逢えば父母を殺し、親眷に逢えば親眷を殺して、始めて解脱を得ん」
                      という禅の言葉そのものです。
                      その対象にどれだけ親愛の情を持っていようとも、真理から外れていると感じたのなら、殺す(否定する)しかないのです。

                       

                       

                       

                      ただ、辞めるに当たって心に決めたことが一つあります。
                      義理立てというわけではないですが、それはこの先対象が何であろうとも、"殺す"ことをためらわないということ。

                      たとえそれが、真理に限りなく近い「仏」や「羅漢」であろうとも。

                       

                       

                       

                      ・・"殺す"時には常に哀しみが付き纏いますが、またそれが新たなモチベーションとなります。
                      あの時感じた強い哀しみが心に有る限り、私は空手からは離れることはないでしょう。

                       

                       

                      .

                       

                       


                      日本縦断セミナー2019春・初夏期 in東京

                      0

                        JUGEMテーマ:空手道

                        先日、5月18〜19日に行われた、
                        国際・沖縄空手道無想会会長、新垣清師範による日本縦断セミナー2019春・初夏期 in東京、
                        参加してきました。 

                        今回で16回目となる縦断セミナーですが、今までと大きな違いが一つあります。
                        それは、本部道場指導員のブライアン先生が、新垣師範の補助として指導に当たったということ。
                        そのおかげで、セミナーの指導がいつもに増してスムーズに進行していました。
                        ブライアン先生の存在は、非常に大きかったです。

                        さて、セミナーの内容は、毎度のことながらが非常に濃いものでした。
                        そのため、全ての内容をブログで書くことはできないのですが、私個人としては、
                        身体操作において、新たに手の内の使い方に深みを出すことができました。
                        形の指導においても、今回新たに指導を受けた、五十四歩は非常に実践的で素晴らしい型でした。
                        これが、松村の五十四歩と同じなのかどうかは自分にはわかりませんが、新垣師範の五十四歩が「使える型」なのは間違いありません。
                        新垣師範が重厚と言うもの納得です。

                        あと、棒の形の際に、身体操作が常に正しくできていれば動作音が静かに成る、という指導を受けました。
                        これは素手の形も一緒です。
                        その時の感覚を忘れずに、今後は練習していきたいと思います。

                        .

                        .

                         

                         

                         


                        calendar
                        1234567
                        891011121314
                        15161718192021
                        22232425262728
                        293031    
                        << December 2019 >>
                        PR
                        プロフィール
                        ■プロフィール 沖縄空手道無想会沖縄同好会 ■練習場所 沖縄県沖縄市および那覇市 ■連作先 musokai_okinawaken@yahoo.co.jp
                        selected entries
                        categories
                        archives
                        recent comment
                        recommend
                        links
                        profile
                        search this site.
                        others
                        mobile
                        qrcode
                        powered
                        無料ブログ作成サービス JUGEM